前編
天平6年、下級貴族の出である遣唐使・吉備真備は僧・玄昉とともに17年ぶりに日本に帰国。唐で得たたぐいまれな学才を認められて阿倍内親王の教育係に抜擢された真備と、唐で見た大仏を日本にも造ることを夢見て権力に食い込む玄昉は、藤原氏と古い貴族たちとの権力闘争の渦中に巻き込まれることとなる。
天平9年、日本中を襲った天然痘で、それまで政治に大きな影響を及ぼしていた藤原の四兄弟が病死し、古い貴族である橘諸兄が権力を握る。疫病、飢饉、戦乱が相次ぐなか、真備は社会事業に取り組む僧・行基と出会い、聖武天皇は河内の智識寺で見た廬舎那仏と寺を支える人々の姿に魅了される。
天平12年に藤原広嗣の乱が勃発すると、藤原仲麻呂は光明皇后を担いで乱に呼応しようとする。右衛士督(うえじのかみ)となっていた真備は、聖武天皇に「藤原氏の作った都」である平城京から出ることを進言し、仲麻呂には藤原不比等が目指した律令国家即ち「戦ではなく法で治める国」の宰相となるべきだと説得する。
後編
平城京を出て橘諸兄の影響が強い恭仁京へ入った聖武天皇は大仏への思いを募らせる。真備は相次ぐ天変地異や飢饉により国が疲弊し、恭仁京の建設もままならない中での大仏造立に反対するが、聖武天皇に行基を引き合わせ、皆の心が大仏を欲すれば大仏造立に協力するという行基の言葉を引き出させる。天平15年に大仏造立の詔が発せされ、恭仁京に大仏が造立されることとなるが、平城京への還都を望む仲麻呂と玄昉は、藤原氏の血をひかない安積親王を毒殺する。
天平17年、都は平城京に戻り、権力を握った仲麻呂によって、玄昉は九州へ追放され、殺害される。真備は行基から玄昉が大仏に託した願いを聞かされ、玄昉と行基の思いを引き継いで大仏を見届けることを決心するが、絶大な権力を握った仲麻呂によって、筑後守、遣唐副使と京から追いやられてしまう。平城京では、阿倍内親王が天皇に即位し、9年の歳月をかけて造られた大仏の開眼法要が行われたが、そこには真備も行基も玄昉もいなかった。
天平勝宝6年、唐から奇跡の生還を果たした真備が見たのは、権力者となった仲麻呂の支配の下で政治が腐敗し、民が苦しむ姿だった。仲麻呂は再び真備を九州へと追いやるが、後ろ盾だった光明皇太后が崩御するとその権勢にも翳りが生じる。
仲麻呂によって太上天皇となっていた孝謙上皇は、真備を造東大寺長官として京へ呼び戻し、仲麻呂追討の火の手が上がる。真備は盧舎那仏像の前で国を疲弊させる戦にしないことを誓うのだった。
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天平6年、下級貴族の出である遣唐使・吉備真備は僧・玄昉とともに17年ぶりに日本に帰国。唐で得たたぐいまれな学才を認められて阿倍内親王の教育係に抜擢された真備と、唐で見た大仏を日本にも造ることを夢見て権力に食い込む玄昉は、藤原氏と古い貴族たちとの権力闘争の渦中に巻き込まれることとなる。
天平9年、日本中を襲った天然痘で、それまで政治に大きな影響を及ぼしていた藤原の四兄弟が病死し、古い貴族である橘諸兄が権力を握る。疫病、飢饉、戦乱が相次ぐなか、真備は社会事業に取り組む僧・行基と出会い、聖武天皇は河内の智識寺で見た廬舎那仏と寺を支える人々の姿に魅了される。
天平12年に藤原広嗣の乱が勃発すると、藤原仲麻呂は光明皇后を担いで乱に呼応しようとする。右衛士督(うえじのかみ)となっていた真備は、聖武天皇に「藤原氏の作った都」である平城京から出ることを進言し、仲麻呂には藤原不比等が目指した律令国家即ち「戦ではなく法で治める国」の宰相となるべきだと説得する。
後編
平城京を出て橘諸兄の影響が強い恭仁京へ入った聖武天皇は大仏への思いを募らせる。真備は相次ぐ天変地異や飢饉により国が疲弊し、恭仁京の建設もままならない中での大仏造立に反対するが、聖武天皇に行基を引き合わせ、皆の心が大仏を欲すれば大仏造立に協力するという行基の言葉を引き出させる。天平15年に大仏造立の詔が発せされ、恭仁京に大仏が造立されることとなるが、平城京への還都を望む仲麻呂と玄昉は、藤原氏の血をひかない安積親王を毒殺する。
天平17年、都は平城京に戻り、権力を握った仲麻呂によって、玄昉は九州へ追放され、殺害される。真備は行基から玄昉が大仏に託した願いを聞かされ、玄昉と行基の思いを引き継いで大仏を見届けることを決心するが、絶大な権力を握った仲麻呂によって、筑後守、遣唐副使と京から追いやられてしまう。平城京では、阿倍内親王が天皇に即位し、9年の歳月をかけて造られた大仏の開眼法要が行われたが、そこには真備も行基も玄昉もいなかった。
天平勝宝6年、唐から奇跡の生還を果たした真備が見たのは、権力者となった仲麻呂の支配の下で政治が腐敗し、民が苦しむ姿だった。仲麻呂は再び真備を九州へと追いやるが、後ろ盾だった光明皇太后が崩御するとその権勢にも翳りが生じる。
仲麻呂によって太上天皇となっていた孝謙上皇は、真備を造東大寺長官として京へ呼び戻し、仲麻呂追討の火の手が上がる。真備は盧舎那仏像の前で国を疲弊させる戦にしないことを誓うのだった。