択捉 择捉

  • 简体中文名: 择捉
  • 别名: 占守型海防艦5番艦
  • 擇捉
  • 択捉型海防艦1番艦
  • えとろふ
  • Etorofu
  • 性别:
  • 生日: 1943-01-29
  • 体重: 基准排水量870t
  • BWH: 全長:77.70m/全幅:9.10m/吃水:3.05m
  • 引用来源: wikipedia
  • 图鉴编号: 334
  • 画师: 赤坂ゆづ

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    谁收藏了択捉?

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    択捉型海防艦の一番艦、択捉です。先輩の占守型の改良型です。生産性と爆雷装備数などが向上しているの。
    とても多くの姉妹が建造され、船団護衛の任などに就きました。
    最後まで戦えた艦は多くはなかったけど、後方の海を最後まで護って戦いました。
    戦いが終わった後も、少し頑張らせて頂きました。


    マル急計画の海防艦甲型、仮称艦名第310号艦として計画。1942年3月23日、大阪鉄工所桜島工場で起工。8月20日、「択捉」と命名。本籍を佐世保鎮守府と仮定。
    1943年1月29日、進水。5月15日、竣工。本籍を佐世保鎮守府に、役務を佐世保鎮守府警備海防艦にそれぞれ定められる。佐世保鎮守府附属に編入。6月1日、南西方面艦隊第一海上護衛隊に編入。同隊北支隊に配され、主として内地-台湾間の護衛に従事。
    1944年12月12日、択捉は海防艦昭南、久米、第9号海防艦、第19号海防艦と共にヒ82船団を護衛してシンガポールを出港。17日、船団はカムラン湾に到着。同地で駆逐艦潮を加えた船団は、19日にカムラン湾を出港し、ベトナム沿岸を北上した。12月21日の朝、船団はアメリカ潜水艦フラッシャーに発見される。フラッシャーは船団を追跡し、徐々に護衛の薄い方向に回りこんで攻撃態勢に入る。同日、第19号海防艦が船団から分離し、反転してカムラン湾に向かう。翌22日午前5時頃、択捉を含む護衛艦5隻全てが船団の近くから離れてしまい、船団は一時的に護衛なしの状態となる。フラッシャーはこの好機を逃さず、北緯15度02分 東経109度08分の地点で攻撃を開始した。5時50分、フラッシャーは艦尾魚雷発射管から魚雷を4本発射。タンカー音羽山丸(三井船舶、9,204トン)の船尾と中央部に魚雷が1本ずつ命中する。音羽山丸は航空機用ガソリン17,000トンを積んでおり、数百メートルの火柱を上げて炎上しながら、左舷に倒れて船尾から沈没していった。直後の5時51分には2TL型戦時標準タンカーありた丸(石原汽船、10,238トン)の左舷油槽に魚雷が1本命中。ありた丸も搭載していた航空機用ガソリン16,000トンが誘爆。火達磨となって6時22分に沈没していった。6時30分ごろには、フラッシャーは特設運送船(給油船)御室山丸(三井船舶、9,204トン)に対して魚雷を4本発射し、御室山丸の船尾機関室前部に魚雷1本が命中。重油16,000トンを積んでいた御室山丸は黒煙を上げながら沈没した。日本側は機雷敷設区域に入り込んだと考えたため、フラッシャーへの反撃を行わなかった。24日9時00分、船団は高雄に到着。ここで1TL型戦時標準タンカー橋立丸(日本水産、10,021トン)が、積んでいた航空機用ガソリン17,000トンを台湾の守備隊用に回すことになったため船団から分離。翌25日、航空機用ガソリン8,800トン、錫2,000トン、生ゴム1,000トンを積んだ逓信省標準TM型タンカーぱれんばん丸(三菱汽船、5,237トン)のみとなった船団を護衛して高雄を出港。同日、択捉は第十二航空艦隊千島方面根拠地隊に編入。26日、船団は基隆に寄港。同地で第9号海防艦が船団から分離し、海防艦笠戸が加入する。同日、基隆を出港した船団は中国沿岸を北上し、舟山に寄港。1945年1月1日9時00分に舟山を出港し、3日に泗礁山泊地に到着。4日8時30分に泗礁山泊地を出港し、9日18時4分に船団は六連に到着した。
    以降は舞鶴、大湊、千島方面の護衛に従事。

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