ep.6 悪い知らせ
时长: / 首播:2022-02-13
石橋山の戦い
石橋山は、現在の神奈川県小田原市の南西にあたります。父・源義朝が治めた鎌倉を目指す頼朝は、まず土肥実平の本拠である土肥郷に入り、山と海に挟まれ小勢でも大軍に対抗できる石橋山に陣を取りました。その数、およそ300騎。
対する平家方は、大庭景親が相模国の武士およそ3000騎を率いて谷一つ隔てた地に陣を引き、さらに、打倒頼朝に執念を燃やす伊東祐親がおよそ300騎を率いて、頼朝軍の裏側の山に陣取りました。兵力の差は歴然。景親は頼朝を支援する三浦党が合流する前に勝敗を決するため、治承4(1180)年8月23日の夜に攻撃を仕掛けます。激戦は翌日まで継続しました。
ちなみに『延慶本平家物語』や『源平盛衰記』などには、景親がまず悪口合戦を仕掛け、これに北条時政が応じたと記されています。
石橋山の戦い
石橋山は、現在の神奈川県小田原市の南西にあたります。父・源義朝が治めた鎌倉を目指す頼朝は、まず土肥実平の本拠である土肥郷に入り、山と海に挟まれ小勢でも大軍に対抗できる石橋山に陣を取りました。その数、およそ300騎。
対する平家方は、大庭景親が相模国の武士およそ3000騎を率いて谷一つ隔てた地に陣を引き、さらに、打倒頼朝に執念を燃やす伊東祐親がおよそ300騎を率いて、頼朝軍の裏側の山に陣取りました。兵力の差は歴然。景親は頼朝を支援する三浦党が合流する前に勝敗を決するため、治承4(1180)年8月23日の夜に攻撃を仕掛けます。激戦は翌日まで継続しました。
ちなみに『延慶本平家物語』や『源平盛衰記』などには、景親がまず悪口合戦を仕掛け、これに北条時政が応じたと記されています。