ep.22 義時の生きる道
时长: / 首播:2022-06-05
源頼朝、上洛
奥州合戦の翌建久元年(1190)11月、源頼朝はついに上洛します。平治元年(1159)の平治の乱で捕らえられ、翌永暦元年(1160)に伊豆へ流刑となって以来、実に30年ぶりの京への凱旋でした。頼朝は、上洛を前に朝廷に対して譲歩や奉仕を行っています。『吾妻鏡』によると、奥州合戦の恩賞を辞退<文治5年(1189)11月6日条・12月6日条>し、さらに相模と伊豆以外の知行国の返還を申し出ます<同12月25日条>。また、後白河法皇の暮らす六条西洞院御所の再建を請け負うなど、経済奉仕も行いました。後白河法皇の唯一の官軍となるため、頼朝は巧みな政治手腕で朝廷と渡り合っていったのです。
10月3日に鎌倉を出立した頼朝は、25日に尾張国野間で父・義朝の墓所に、27日に母ゆかりの熱田社にそれぞれ参詣し、11月7日に大軍を率いて入京します。そして、入京から2日後の9日、いよいよ日本一の大天狗と評する後白河法皇と対面することになります。
源頼朝、上洛
奥州合戦の翌建久元年(1190)11月、源頼朝はついに上洛します。平治元年(1159)の平治の乱で捕らえられ、翌永暦元年(1160)に伊豆へ流刑となって以来、実に30年ぶりの京への凱旋でした。頼朝は、上洛を前に朝廷に対して譲歩や奉仕を行っています。『吾妻鏡』によると、奥州合戦の恩賞を辞退<文治5年(1189)11月6日条・12月6日条>し、さらに相模と伊豆以外の知行国の返還を申し出ます<同12月25日条>。また、後白河法皇の暮らす六条西洞院御所の再建を請け負うなど、経済奉仕も行いました。後白河法皇の唯一の官軍となるため、頼朝は巧みな政治手腕で朝廷と渡り合っていったのです。
10月3日に鎌倉を出立した頼朝は、25日に尾張国野間で父・義朝の墓所に、27日に母ゆかりの熱田社にそれぞれ参詣し、11月7日に大軍を率いて入京します。そして、入京から2日後の9日、いよいよ日本一の大天狗と評する後白河法皇と対面することになります。
吐槽箱 3
#1 - 2022-6-5 23:04
柊つかさ (君と目指す彼方へ)
#2 - 2022-6-11 00:10
otomadytpmv (当萌豚不也挺好吗)
#3 - 2023-1-13 23:18
喝稀剥壳 (烦透了,三次元)