ep.40 罠と罠
时长: / 首播:2022-10-23
親密! 源実朝×和田義盛
源実朝は、父・頼朝と同年生まれの和田義盛と親密な関係にありました。『吾妻鏡』建暦2年(1212)8月18日条によると、実朝は義盛から昔話を聞くために、御所に祇候するように命じています。また、翌3年の正月には、1日の大江広元、2日の北条義時、3日の北条時房に次ぎ、4日の「垸飯」を義盛に務めさせました。「垸飯」とは、有力御家人が鎌倉殿と御家人たちを饗応する行事であり、御家人の序列を表すものです。つまり当時和田義盛は、広元、義時、時房に次ぐ4番目の地位を占めるような有力御家人でした。義盛が上総介の官職を望んだとき、母・政子の反対もありながら実朝はその願いを一旦は受け入れます。結局は後鳥羽上皇の近臣である藤原秀康が補任されたため、義盛の願いはかないませんでしたが、二人の関係が揺らぐことはなかったのです。
御家人の支持を集め、実朝とも親密な義盛ら和田氏は、義時ら北条氏にとって非常に目障りな存在でした。
親密! 源実朝×和田義盛
源実朝は、父・頼朝と同年生まれの和田義盛と親密な関係にありました。『吾妻鏡』建暦2年(1212)8月18日条によると、実朝は義盛から昔話を聞くために、御所に祇候するように命じています。また、翌3年の正月には、1日の大江広元、2日の北条義時、3日の北条時房に次ぎ、4日の「垸飯」を義盛に務めさせました。「垸飯」とは、有力御家人が鎌倉殿と御家人たちを饗応する行事であり、御家人の序列を表すものです。つまり当時和田義盛は、広元、義時、時房に次ぐ4番目の地位を占めるような有力御家人でした。義盛が上総介の官職を望んだとき、母・政子の反対もありながら実朝はその願いを一旦は受け入れます。結局は後鳥羽上皇の近臣である藤原秀康が補任されたため、義盛の願いはかないませんでしたが、二人の関係が揺らぐことはなかったのです。
御家人の支持を集め、実朝とも親密な義盛ら和田氏は、義時ら北条氏にとって非常に目障りな存在でした。