ep.47 ある朝敵、ある演説
时长: / 首播:2022-12-11
前代未聞!大内裏の焼失
承久元年(1219)6月25日、摂関家・九条兼実のひ孫・三寅が迎えの御家人たちとともに京・六波羅を出発し、3週間余りをかけて7月19日に鎌倉に下着しました。これにより、次期将軍予定者の三寅のもと、政子が「尼将軍」として幕府を代表し、「執権」である北条義時が政務全体を取り仕切る新体制が整います。
しかしこの間、後鳥羽上皇の住まう京では、大事件が起きていました。源頼政の孫・頼茂が、三寅の鎌倉下向を不満に思い謀反を起こしたのです。7月13日、追討の院宣を下された頼茂は、代々守護を務めてきた大内裏に籠もって追討軍と戦い、火を放って自害。この際に仁寿殿だけではなく、所蔵されていた累代の宝物などが焼失します。兵火によって大内裏の殿舎が焼け落ちるのは前代未聞であり、後鳥羽上皇はショックのあまり、1か月以上も床に臥してしまいました。
後鳥羽上皇は「三種の神器」なくして践祚し、壇ノ浦の戦いで宝剣を失ったことにコンプレックスを抱えており、治天の君としての正当性を示し続けてきました。幕府の内紛によって何ら関係のない大内裏が焼け落ちたことに、さぞや強い憤りを感じたことでしょう。その思いが、幕府を取り仕切る北条義時との確執を、さらに大きなものにしていきます。
前代未聞!大内裏の焼失
承久元年(1219)6月25日、摂関家・九条兼実のひ孫・三寅が迎えの御家人たちとともに京・六波羅を出発し、3週間余りをかけて7月19日に鎌倉に下着しました。これにより、次期将軍予定者の三寅のもと、政子が「尼将軍」として幕府を代表し、「執権」である北条義時が政務全体を取り仕切る新体制が整います。
しかしこの間、後鳥羽上皇の住まう京では、大事件が起きていました。源頼政の孫・頼茂が、三寅の鎌倉下向を不満に思い謀反を起こしたのです。7月13日、追討の院宣を下された頼茂は、代々守護を務めてきた大内裏に籠もって追討軍と戦い、火を放って自害。この際に仁寿殿だけではなく、所蔵されていた累代の宝物などが焼失します。兵火によって大内裏の殿舎が焼け落ちるのは前代未聞であり、後鳥羽上皇はショックのあまり、1か月以上も床に臥してしまいました。
後鳥羽上皇は「三種の神器」なくして践祚し、壇ノ浦の戦いで宝剣を失ったことにコンプレックスを抱えており、治天の君としての正当性を示し続けてきました。幕府の内紛によって何ら関係のない大内裏が焼け落ちたことに、さぞや強い憤りを感じたことでしょう。その思いが、幕府を取り仕切る北条義時との確執を、さらに大きなものにしていきます。
吐槽箱 5
#1 - 2022-12-11 22:26
柊つかさ (君と目指す彼方へ)
#2 - 2022-12-12 22:19
TGLin
#3 - 2022-12-13 04:27
Stephen9755
#4 - 2022-12-13 21:27
zakufa782
#5 - 2023-1-20 21:38
Kurisu (干劲up)