#1 - 2024-4-13 03:12
仓猫
Near Me,Near Memory,Near Melody


眠れるわけがなかった。

目は暗闟に慣れ、何もない天井が私の先にぼんやりとある。毎朝太陽の光で起きるようにと開けた力ーテンからは、夜空が見える。外はまだまだ暗い。街の寝息すら聞こえず、世界が私一人だけ閉じ込めたかのように静かだ。

でも、私の鼓動は早くてうるさかった。

——明日、推しの「吉岡奏絵」に会える。

推し、どいう言葉で表現するのも陳腐だろう。

憧れであり、きつかけであり、夢であり、目的だ。

私、佐久間稀莉は吉岡奏絵に夢を与えられて、もう一度会いたくて、彼女と同じ場所に立ちたくて、声優になった。

「…眠れない」

言葉を発し、少しだけ喉の渴きを感じる。

日付が変わる前にベッドに人つたはずなのに、携帯電話を見ると時刻は午前二時を過ぎていた。画面の明るさに目の痛みを覚え、すぐに閉じる。光の刺激で、また眠るのが遅くなったことだろう。

身体はそれなりに疲れているが、心が休ませてくれない。

何度も練習した「作戰」「シミュレーション」が頭の中でリビート再生される。

落ちぷれて、あの時の輝きを失った吉岡奏絵を奮起させるために、私は彼女にとって「嫌」な子になる。吉岡奏絵の言葉を予測し、何パターンも彼女に刺さる言葉を考え、実際に声に出して試してきた。

「モブの人の名前と顔なんかいちいち覚えていない……、あなたが相方なんてないない……、ただの共演者ですよ……、あー昔見たことある名前だ……、まだ声侵業界にいたんですね……、せいぜい私の足を引つ張らないようにしてくださいね……」

呟きながら、グサッ、グサッと言葉が私の心に突き刺さる。

——なんて酷いことな診うの!?

名前も颜も忘れたことなんて一度もないし、何なら昨晚の夢にも出てきたんですけど! ベッドに人る前だって彼女が主役を演じた『空飛びの少女』のボスターの前で拝んだし、なんならその主役の空音の抱き枕の温もりを今感じている。

相方、バートナー、なんでもいいんです、呼んでください。稀莉さんは硬いかな。稀莉ちゃんでもいいかな、稀莉と呼び捨てされるのもいいな、キリノスケはちょつと違うかも。でも吉岡さんが呼んでくれるなら……違う、違う、私は鬼になるんだ!

「……大丈夫かな」

私の営葉で吉岡さんが奮起せず、凹んでしまったらどうしよう。

この方法は閒違っているんじやないか、と何度も考えた。「ふつう」に、着実にラジオをやっていけばいいんじやないかとも思った。

けれど「ふつう」にやって、うまくいく未来が見えない。私もそれでやれる自信がない。

だからこそ、煽って憤らせて奮い立たせるのだ。

私は吉岡奏桧なら再起してくれると信じている。私が期待する吉岡奏絵はどうにかして最高の形にしてくれると信じている。

でも、それは推しへの押しつけ。

知っている。完壁な人間なんていない。私の憧れだから、何とかできると思ってしまっているだけだ。

「あ!……明日学校行きたくないー」

明日のラジオ収録前は平日のため学校に行かなくてはならない。

高校を無事に卒業することが、声優をやる条件のひとつとして母親から課されているのだ。声優になれたのも両親の協力があってのことなので、約束を破るような行為はできない。

それに高校生声優はいまだ希少種だ。数少ない学生の私のために日時をわざわざ調整してもらっているので、文句は言えない。

でも、それでも明日ばかりはワガママを言いたくなる。スタッフではなく、学校に、国に、世界に!

何で明日学校があるのだろう。記念すべき日なのだから休みにすベきだ。明日は「吉岡奏絵」との再会記念日で、一度しか訪れないラジオ収録開始日なのだから、国民の休日にしてもいいじやないか。せめて都民だけでも休みにすべきよ。

「でも、明日は来てほしい……」

憧れに会える。あなたに会えるから明日は吉岡奏絵記念日なのだ。

さて、君は吉岡奏絵をご存じだろうか。

吉岡奏絵は声が良い。声質がいい。顔がいい、私の好みだ。大人びた表情も、子供のような無邪気に微笑む姿も良い、すごく良い。天使か、女神か、どちらかに決めるのは難しい。声量もあり、歌声もまた良い。イベントでのトークも面白かったし、完壁か!?万能すぎる女性なのか、吉岡奏絵は!

そんな彼女に、明日会えるのだ。それも明日一度きりではない。毎週、吉岡奏絵に会える。ラジオが続く限り、彼女との日々がずっと続く。

「……会えるんだよ」

誰に言うまでもなく、感情を世界に吐き出す。

眠りについたのはそれから一時間後で、次の日は寝不足だった。

青はどこまでも広がり、雲一つない迷いのない空だった。

けど、私の心にはまだ迷いが残っていた。いや、時間が近づくにつれ、焦ってきたといった方が正解だ。

吉岡さんに会った時の台詞は考えたけど、ラジ才の收録が終わってか5はどう演じればいい? あれ、ラジオ中はどうしたらいいの? ムカつく感じに……ってそれだけ? そんなんじゃラジオ番組が成立しない! まずいまずい。

「佐久間ー、おーい、聞いているか」

「稀莉、先生に呼ばれているよ、稀莉!」

この間の席替えで隣になった友達の町野結爱に言われ、やっと空想の世界から戻ってくる「今いいところなんです、静かにしてください!」と歯向って言えず、しぶしぷ現実世界に向き合う。

「ここの問題わかるか?」

教師が問いかけ、指さされた先を見るとすぐには読めなかった。

『 御心ざしあやにくなりしぞかし』

どうやら今は古典の授業らしい。椅子に座り、右手はシャ-ペンをしつかりと握っているが芯は出ていなかった。

私の机の教科書はまだ生物のままだった。一限目の授業のものだ。二限目の世界史の記憶も全くない。どうやら一限目から『 吉岡奏絵との再会☆大作戦』に意識を持っていかれ、どこかに旅立っていたみたいだ。

だからといってここで内申点を下げるわけにはいかない。授業よりも難問がこの後に待っているのだ。これぐらいすんなりと解決しなきや、私じやない。

考えろ。一度は見たことがあるはずだ。勉強した記憶をひねり出し、我ながら良く通る声で答えを口にした。

「愛がめっちゃ重いですね!」

沈黙が生まれた。

だが、その静けさに耐え切れなかったのか、横の結愛が噴き出した。教師もやれやれと答える。

「……間違ってはないが、略しすぎだろう。ここでは前後の文章を踏まえて、帝のご寵爱も非常に大きなものになっていた、ということだ」

合っているじやないか。帝の寵爱、めっちゃ重い。

「授業ちゃんと聞くんだぞ」

「はい、ちゃんと聞きます!」

「返事は元気だな……」

一度当てられれば、授業中にもう当てられない。だが、マークされたので表面上はきちんと聞いている姿勢を見せる必要があった。

顔はしっかりと黒板を見て真面目に受けているように装いながら、頭の中は空想の世界にまた旅立とう。

「起立、礼」

日直の号令が授業の終わりを告げる。少々のハブニングもあったが、休み時間がやってきた。

「もう稀莉。さつきはびつくりしたよ~」

固くなった背中を伸ばす私に、隣の席の彼女が声をかけてきた。

「ごめん結愛。気づかせてくれてありがとうね」

「稀莉の回答には笑つちやつたけど」

「笑うところあった?」

怪訝そうな顔で「本気で言っているの?」と普段より低い声で言われた。本気で言っているのだけどな。何か変だった?

「授業ちゃんと聞かないと駄目だぞ~」

「大丈夫、テストの点数は常に十位以内に人っているから」

「この優等生め……。そんな忙しいのにどこに勉強する時間があるっていうんだ!」

結愛は私の仕事、私が声優をやつていることを知っている。いや、結愛だけじゃないだろう。クラスメイトの女子たちも、教師たちも知っているはずだ。知っているからか、なかなか声をかけられない……と思っている。女子校なので、女キャラを演じてばかりの私に興味がない可能性もあるかもしれないけど。

部话に属していないし、学校が終わったらすぐに帰る生活だ。たまに休まなきやいけないこともある。それは役者をしていた中学生の時も同じだった。修学旅行には行けなかったし、運動会も出なかった。学生……の思い出はあまりに少ない。

けど、不幸には思っていない。

他の人が見られない演技の世界が見られるのだ。それに声優の道を選んだのは自分だ。むしろ、この年齢で声優になれたことは幸運すぎるだろう。願っても簡単に叶わない、弱肉強食の世界だ。努力が必ず実を結ぶ……ことはない。

「仕事の待ち時間とか、移動時間で勉強してる」

「普通、移動時間はスマホをボチポチしたり、ゲームのログボを買ったりするぐらいだよ。時間があっても漫画を読むぐらいで……」

「漫画やラノべもちゃんと読んでいるから!もちろん先週発売の『空飛びの少女』のサイドストーリーも買った。ラストのシーンが良くてさ」

「待って待って、まだ私読んでいないんだから!もう稀莉は読むの早すぎだよ!」

「秸愛遅すぎ。感想言えないのだから、今週には読んでよね」

「稀莉の友人でいるのハードル高すぎっ!」

こんな風に軽口を言い合える同級生は彼女だけだ。私を特別視せず、友人でいてくれる彼女に感謝する。結愛がいるから、私の学校生活は寂しくない。

「それにしてもさ、稀莉」

「なによ」

「今日、なんだか二ヤ二ヤしているね」

「……そう?」

「いつもより口元がゆるゆるだよ?」

口元が緩い原因はすぐにわかる。

だが、まだ発表もされていないラジオ番粗なので何も言えない。それでなくとも仕事のことは秘密保持の原則があるので、いくら仲の良い友人だとしても言うことはできない。

それは仕事のことを知っている結愛もわかっていることだ。だから、原因について深く追究してこない。

「いつもはキリッとして、周りを寄せ付けないようなクールな顔をしているのにさ」

「キリッとって、ギャグのつもり?」

「そんなつもりはないよ。ほら、口調は強いのに、にやけてる」

手鏡で自分の顔を見せられる。うん、確かに嬉しさが溢れすぎて、表情に出ている。吉岡奏絵を前にこの顔では駄目だ。

「煩悩を消すにはどうしたらいい?」

「わからないよ!瞑想すればいいんじゃない?」

言う通りに目を閉じ、雜念を払おうとする。

「……ふふ、ぐへっへ」

「稀莉、雑念が漏れすぎだよ!?」

「瞳を閑じると瞼の裏にいるんだよ」

「怖いよつ!?何が、誰が瞼にいるの!?」

誰が、とは言えない。言いたいけど言えないもどかしさ。

「いいことがあったんだ、ううん、いいことが待つている」

これぐらいは言っていいだろう。

「そうか、そうなんだね」

「うん!」

「稀莉が嬉しそうで、私も嬉しいよ。いつか教えてね」

「約束する」

喜んで報告できるように、顔張らないと——。

吉岡奏絵との再会まで、七時間を切っていた。

記念すべき、はじめてのラジオ収録が終わった。

「はあ~~~~—————………………」

自分の部屋に人って、長く溜息をつく、演技は終わりで、オタクな自分に戻っても問題ない。

——私はうまく嫌な子を演じられただろうか。

彼女はイラっとはしたはずだが、このやろーと思って奮起してくれるだろうか。不安だ。

それにしても、だ。

「吉岡さん綺麗だったな……」

久しぶりに再会して、驚いてしまった。

嫌な子の演技をしていなければ、初めの挨拶はまともに会話することができなかっただろう。「私、モブの人の名前と顔なんか、いちいち覚えていないんですよ」とよく悪口を言えたものだ。めつつつちや覚えているし、ドキドキが止まらないぐらいに推しと会えて聚張していたし! 私の緊張バレてないよね? 举動不審じやなかったよね?

それでも挨拶はまだよい、序の口だ。問題は収録の方だった。

二人組のラジオなので、席が対面なのだ!!

目の前に吉岡奏絵がいるのだ!!

おかげでずーっと緊張していて、まともに顔が見られなくて、返す言葉もしどろもどろになってしまった。いや、対面じゃなくて隣でも緊張するんですけどね! 同じ空間に吉岡奏絵がいるという事実が怖い。夢じゃないなんておかしい!


生·吉岡奏絵の顔面が強い。

ラジオなので録画もされないし、ネットに写真が載るわけでもないので、今日の吉岡さんはバッチリとした恰好でも、化粧でもなかった。オフモードつぼい装いなのに綺麗すぎでしょ!いや、可愛すぎる!!もうャパくてャバいの三乘。

『あと何回持つかな』と自分で呟いちやつたけど、違う意味もあった。ラジオが面白くなくて番組が続くのかという心配と、吉岡奏絵を前にして私の体力、気持ち、精神が持つのかという心配だ! 持たない、綺麗な彼女を前にして心が持たない!

綺麗だけではない。不機嫌な颜も、私の生意気な発言にムッとする颜もぞくっときた。やつばり録面してくれないかしら? 永久保存版で、何百回も見直しちやうのだけど!

「それに、惜しいことをした…」

嫌な子を演じたのにラジオ収録後に彼女は私に言ったのだ。『この後良かったらご飯行かない?』と誘ったのだ。

「大人すぎでしょ?」

人間もできている。声、顔だけじやなく、心まで素晴らしい。

イペントトークを聞いたり、インタビュー記事を熟読したりはしたが、私が知っていたのはあくまで表の吉岡奏絵だ。表面、上辺だ。彼女の内面まで熱知しているわけではない。

——もっと知りたい。

ぜひとも一褚にご飯を食べて、もつと彼女のことを知りたかった。

「……ずっと続けたいな」

ずっと続けたいが、このままでは駄目なこともわかっている。彼女が奮起してくれなければ、この番組はいずれ終わる。

演じてしまった。始まってしまった。

そのあと私はどうすればいいの?

結果的にいえば、彼女は私の想像以上に奮い立ち、再起した。

りしなかった私だったが、彼女の言うとおりにすると自分でも納得できるほどの面白いラジオ番組になった。彼女のおかげで好転したのだ。

そしてある日のラジオ収録後、私はよしおかんに言葉巧みに誘われて喫茶店に行った。彼女との待望のお食事だ。

だが、嬉しさよりも頭は別のことでいつばいで……。

「間接キス、キス…」

自分の部屋の枕に颜をうずめ、悶える。

よしおかんが私の選んだプラックコーヒーの方が良いというので、彼女のキャラメルラテと交換した。

そしたら、飲まれたのだ。私の使っていたストローそのままで!

「うなあああ————………」

あまり大声にならないように枕を口に押し付けるが、声は漏れ出る。私が、口づけた、プラックコㄧヒーのストローを、そのまま、使ったのだ。私の許可なく、平然と、意識せずに。もう!熱い、顔が熱い。

意識していると思われたくなかったので、渡されたキャラメルラテはストローを使って飲むしかなかった。

吉岡奏絵が口づけた、ストローで!

吉岡奏絵との間接キスを選ばずにはいられなかったのだ!すごく甘かったです、はい。味以上に味がした気がしました。忘れられない味つてあるんですね。佐久間稀莉はレベルアップし、賢くなりました。

……よしおかんは本当よしおかんだ。

私の心を簡単に気軽にかき乱し、私の赤色をさらに真っ赤に染め上げる。わさとではなく、意識無しにやっているのがまたタチが悪い。

「……もう」

悪い気は……しない。恥ずかしいのに、私の顔が緩みに緩む。枕に二ヤ二ヤとした表情のスタンプを押しつけて、力を入れすぎて滲んでしまっている。

それに、間接キスとは別に嬉しかったこともある。

吉岡奏絵は言ったのだ。

『もちろん、空音に出会えてよかった』と。

私の夢の始まり。吉岡奏絵に出会ったきつかけ。

空音を吉岡奏絵が演じなければ、私は彼女に出会えなかった。

演じた役はすべて好き、とは限らない。特に大ヒットしたアニメは人気が故に悩みも大きくなるだろう。彼女だっていろいろな思いがあったはずだ。

けれど、言葉にしてくれたのだ。出会えてよかった、と。

その言葉が聞けただけで、声優になれてよかったと思ってしまう。

「私も、空音に出会えてよかった」

いつかその言葉を、彼女に伝えられたらいいな。

君の姿を追ってきた。

追つていたはずなのに、いつの間にか追い越して、後ろを振り返ってもいなかった。

いや、いたんだ。いつも私の隣にいたんだ。

呼ばれた気がして、夜、一人で飛び出した。

真っ暗な沼の底に手を伸ばすと、『それ』に捕まれた。

「会いたかったよ、千烏」

「……私?」

同じ顔をしていた。力が抜けていく。

このまま沈んでいくのに疑問を持たなかった。

「帰ってこい、千鳥!!」

知っている音が私を呼び起こす。

私の名前を呼ぷ声が聞こえ、自分を思い出した。

力が戻ってきて、私は、私と思うものを突き飛ばした。

「ごめんね、私」

∽無邪鬼 第十話「消エル闇」より~

イライラしていた。

私、佐久間稀莉はアニメ『無邪鬼』の打ち上げ会場に来ていた。

イライラの原因は「彼女」だ。

モブ役で出演したよしおかんもいるはずなのに、私の前に一向に姿を見せない。

監督の乾杯の音頭の前に、私は壇上で挨拶をした。遅れてきたのでなければ目立つことをした私の存在を、彼女は当然認識しているはずだ。私はこのア二メのメインキャラクターなのだ。遅れてきたとしても、打ち上げに参加することはわかっているだろう。わかっているのに私の前に彼女は来ない!

そっちが来ないならこっちから迎えにいくまでだ……と思うも、すぐに探しに行けないのがもどかしい。仕事の一環で関係者への挨拶まわりをしなければならないのだ。

「佐久聞さん、今作のヒロインを立派に務めてくれて、ありがとうございました。佐久間さんのおかげで、千鳥のキャラのイメ-ジがさらに膨らみ、より濃くアニメで描けました」

「ほい、こちらもとても勉強になりました。監督、ありがとうございましたー」

短く済まそうとするも、監督が人を呼び、そのまま囚われる。

「あ、いたいた。こちら原作の先生です」

「どうも、漫面原案の春山夏人ですー!」

「こんにちは。佐久間稀莉です。アフレコに何度も来ていただきましたよね。差し人れでいただいたフィナンシエ、すごく美味しかつたです! ありがとうございましたー、ではつ」

「演技が素晴らしくて感動しました。漫面以上に絵も素晴らしいのだけど、やつばり声が人ると違うようね。うんうん」

「ありがとうございます。嬉しいです!では私はこのヘん」

「春山さん~誰と話しているんですか? あっ、佐久間さん、佐久間稀莉さんだ! 生·稀莉ちやんだ!わ~緊張してきた。あの、千烏の演技最高でした!実は私が推したんですよ?」

「ありがとうございます。あのー……」

「こちらは作画担当の秋海冬子さんだよ」

「こんにちは、佐久間稀莉です。漫画の絵がとってもかわいくて、でも戰闘での勢いが凄まじくて大好きです。原作大ファンです。漫而を読んで、絶対にヒロインに選ばれたいなと思ってました」

「ありがとうございます、感激です! そういって貰えて幸せです。なのに、なのに一度もアフレコの見学に行けなくて、行けなくて……」

「どんまいだよ秋海さん」

「何がどんまいですか、原案のあなたが每回ギリギリであげてくるからこつちはデスマーチなんですよ!? 行けるように調整していたのに、急にプロッ卜を変えるとかなんですかワ バ力なんですか、バカなんですよね!?」

「だってさ~前の週のアフレコ閑いたらさ、原作めっちや負けているなと思ったんだもん。アニメに負けたくないじやん、漫而も一緒に盛り上げたいじゃん」

「あのー、私飲み物とってきま」

「そう思って佐久間さんの飲み物とってきたよ。コーラとオレンジジュースどつちがいい?」

「あー……監督ありがとうございます。あー…オレンジジュース……で」

「盛り上げたいなら私にきちんと時間ください! 時間くれれば何も問題ないんです」

「無から生み出すのが一番難しいんだ。わかるだろ?」

「原案変えてください」

「まあまあ、秋海さん。二人いてこそ無邪鬼ですよ」

……抜け出せない。

早く吉岡奏絵に会いたいのに抜け出せないっ! 会話が盛り上がっているというかプチ修羅場だ。逃げようと思つても逃げられない!

「なんだか、盛り上がっているね」

「ジノさん!」

「どうも」

「お、佐久間ちゃんもいるじやん」

「佐久間さんの演技は天才的で、闇との対面のシーンは自分で描いたはずなのに、超絶によかったです。これが漫面で描きたかったんだと感動でした!」

「俺も最初から佐久間ちやんは違うなと思ったんだ。一声聞いただけで、他の新人、いや他の若手とは違ういいもの、いい声を持つていると感じたんだ。な、選んで正解だっただろ?」

「さすがレジエンド音響監督ですよ。佐入間さんだけじゃありません。全キャスト、役に合っていましたよ」

「ありがとうよ、田中くん。前作はごめんな、キャストがなかなか成長しなくてな……」

「いえいえ、あの作品はスボンサーの権限が強くて、最初から決められた配役でしたから…」

さらに音響監督もやってきて、ますますこの場から逃げづらくなる。私の話題をされているので脱出難易度もさらに跳ね上がる。自分の話を目の前でされるのは恥ずかしくて、誉め言葉とわかっていてもどう反応していいかわからず、居心地が悪い。

「アフレコに行きたかったな…」

「まだ恨み言を続けてるのかい、作面担当さん」

「いつも遅いのはどつちですか、原案さん」

「ははっ、その熱意が作品を良くするのだから仕方ないさ。佐久間ちやんはこれからもっと売れていくと思うから、精進するんだぞ」

「ありがとうございます、頑張ります!」

「僕ももっと頑張るんで、また佐久間さんに演じてもらいたいです」

「ありがとうございます、光栄です!」

私としてもすごく感謝しているレ、こうやって話してくれるのは嬉しくて、ありがたい。打ち上げは私たちが主役ではない。一褚に作ってくれた方々に感謝を伝える場だ。たくさんの人が関わっているのだと再認識し、責任の重さを実感して、改めて頑張ろうと思う時間だ。

ただ、時間が無限ならいいけど、打ち上げはせいぜい二三時間しかない。

短い。こうやって何十分も捕まっている暇などない!

会いたいのだ。吉岡奏絵の声が聴きたい。

…………えつ、毎週ラジオの収録で会えるから、打ち上げ会場で会う必要ないですって?

相方、パートナーだから、いつだって会いたいと思うのは当然でしょ!?!?!?

「なあなあ、佐久間さん何も食ベれてないじゃん。大人たちもつと気を使いなよ~」

「白河さん!」

脱出困難な状況を打破してくれたのは、先輩女性声優の白河さんだった。

「ごめんなさい、気が利かなくて!」

「料理取ってきましょうか?」

「いえいえ、せっかくだから科理を見てまわりたいので自分で行きます! 今日はたくさんお話できて楽しかったです、ありがとうございましたー!」

監督の気遣いを断り、精一杯の明るい声でその場を慌てて去る。

少し離れたところで报り返り、白河さんを見る。頭を下げると¬いいってことよ!」と言わんばかりのウィンクが返ってきた。

今度アフレコで一褚になった時に、何かお礼をしなくては。

「ふう………」

軽く息を吐き、「はあ………」と心の中では大きく溜息をつく。

人と喋るのは疲れる。これも仕事の一つだと理解しているけど、いきなり多くの人と話すのは大変なのだ。それに偉い人たちばかりなので、下手なことも言えず、精神も疲れる。自然体で話せる彼女が恋しい。

さて、そのよしおかんはどこにいるのだろう。ビュッフエコーナ|あたりにいないかな~と探すと、すぐに見つけることができた。

「………………………」

ビュップエコㄧナㄧではなく、近くにある日本酒コ|ナ|で吞気にお酒を飲んでいた。まだ距離があって話す内容は聞こえないが、男性二人と何やら楽しそうに話している。

いらっ。

なんだかムカついてきた。

何楽しそうにお酒飲んでるの?お酒の方が大事なの? 相方の私を探すのが先でしょ!?何で私に会いに来ないの? 何で私より別の人を優先しているの?

イライラのまま真っすぐに進む。速度はあがり、止まることはなく、後方からそのままぶつかりに行った。

ごつん。

「ぐはつ」

よしおかんに大ダメージを与えた。知らないけど。

ダメージを与えたことで、ようやく彼女が私を認識する。

「あれ、稀莉ちゃん?」

「ぷんっ」

あれ? じゃない。

私を見てよ。私を探してよ。

言葉にすれば楽なのに、できないのがもどかしい。

目の前にしなければ、言葉は出てくる。できるのに、今できない。

「………………」

あんなに会いたかったのに、私から話せない。

むすつとするしかできなくて、そんな自分にイライラした。

信号で車が止まると同時に、橫に座る彼女が口を開いた。

「いつまでニヤ二ヤしているんですか、佐久間さん」

「ニヤ二ヤしてないわよ、佳乃」

マネージャーの長田佳乃の言葉をすぐに否定する。

タクシーのガラスに反射した自分の顔を見ようとするが、外が真っ暗すぎてよく見えない。私の顔、そんなにニヤニヤしているのだろうか。

「渡されたのは、ネズミの国のベアチケットですか」

「うん」

「欲しがっていましたものね」

「……うん」

打ち上げの抽選会の景品の中で一番に狙つていたものだったので、チケッ卜はもちろん嬉しい。

ただそれ以上に笑顔になれることがあった。

よしおかんが私を追つかけてくれた。別に次のラジオ収録でもいいのに、今、私のために駆けてくれて、もらったチケットを手渡してくれた。

私を見てくれていた。

私のことを考えてくれていたのだ。

そのことが何よりも嬉しくて、心がずつと踊っている。頭の中ではテㄧマパークのパレードの曲が延々とリビートしている。

「嬉しかったのは、別のことですかね」

「うっ…」

キラリと光る眼鏡の奥で、私の心の中を簡単に見透かさないでほしい。

「それにしても見せつけられましたね。私がいるのをお構いなしに、お外でイチャつくんですから」

「…イチャついてない」

「そう、ですか」

「そうです!」

「行きたいの、一褚に。私とでいいの?」

「一人で二役を再現しようとしないで!」

「ふふ、つい面白くなっちゃいました」

「意地悪マネージャ!」

「悪口言いながらも、いまだ二ヤ二ヤな生意気声優さん」

指摘され、プイつと顔を背ける。けど顔を引き締めようとしても、どうしようもなく緩んでしまう。

遠くに見えるビルの灯りもいつもと違って綺麗に見えて、「世界はなんて美しいんだ!」と今なら詩人になれる気がする。

「……泣かないでくださいね」

「泣かないわよ、バカ」

先読みしてくるマネージャーがうつとうしくて、私のことを知りすぎだと笑ってしまう。

嬉しくて泣くのはまた今度だ。

これから、もっと楽しいことが待つているのだから——。

稀莉「コラジオネーム、あるぼんさんから、はいはい、常連。『こないだ宝くじで一万円当たりました。大金ではないですが、当たるというのは嬉しいですね。お二人は最近何か当たりましたか』」

奏絵「これはまた」

稀莉「ダイムリーな話題ね」

奏絵「こないだ作品の打ち上げがあったんですね。作品の打ち上げといえば、そう、プレゼント抽選会! そこで私たちは見事」

稀莉「何も当たりませんでした」

奏絵「残念!」

稀莉「どんなに祈っても、なかなか当たらないものよね……」

奏絵「でも私はその打ち上げ作品ではモプ役だったからさ、何か当たったとしても『モブの分際で壇上に上がっていいの?』「景品もらってしまっていいの?』と躊躇しちやうかも」

稀莉「えー、貰えるなら貰つちやいなさいよ」

奏絵「遠盧しちやうって! 打ち上げの景品はさ、やつばりその作品で頑張つた人が貰うべきだよ」

稀莉「その気持ちはわかるけど。ならメインキャラの私は当たるべきだったわよね?」

奏脍「メインキャラの人が当たると、抽選会がやらせっぽくなっちやうからさ…」

稀莉「いいじやない、やらせでも! 頑張ったご褒美をちょうだい!」

奏絵「仕方ない、ほら私のドーナッツをあげるよ」

稀莉「よしおかんのじゃなくて、スタッフが買ってきたものでしょ!? ってことで、あるぽんは当たった一万円で私たちにプレゼントを送ること! いいわね?」

奏絵「いやいや、自分のことに使つていいからね! 自分のご褒美に……。あ、でも今後出るとしたら番組グッズに使ってくれてもいいよ」

稀莉「結局、私たちに使わせようとするじやない! 同じよ、同じ。今送ってくれていいから!」

奏絵「本当に送らないでいいからね! フリじやないよ!」

奏絵「じやあ次のおたより。これつきりネーム」

稀莉「何よこれつきりネ-ムって。一度きりしか使えないじやない!」

奏絵「そもそもこれつきりラジオって名前が緑起良くないよね……。長く続けようね、稀莉ちやん」

稀莉「ご褒美をください」

奏絵「ご褒美なくても頑張ろうよ~」

稀莉「……」

奏絵「無言きつい。もう、続き読むよ。これっきりネーム、逆転満塁アウトさんから。『こないだガチャガチャで好きなキャラが一発で当たり、二ヤ二ヤが止まりませんでした。二人は二ャ二ャが止まらくなったことはありますか?』

稀莉「ビリビリビリ……」

奏絵「わつ、無言でおたよりを奪って破ろうとしないで~」

稀莉「二ヤ二ヤ…」

奏絵「二ヤ二ヤしてもだめだから! ニャ二ャしながらおたより破るの思つた以上に怖いから!」

稀莉「もうせつかく二ヤ二ヤしてあげたのに」

奏絵「そういう要望じゃなかったよね? 何か二ヤ二ヤが止まらなくなったことありますか、だって」

稀莉「給料が振り込まれたのを通帳で確認したとき」

奏絵「そうだけど! もうちょつと好感度が上がること言おうよ。ラジオが終わるから!」

稀莉「はいはい、これつきり。もうこれつきりよ」

奏絵「終わらない、これつきりにしないで!?」

extra

再生ボタンを押さなくても、頭の中で流れてくる音楽がある。

昔演じた空音の曲だ。忘れようとしても、耳の奥にこびりついて、剥がせない。仮歌を何度も聞いて、自分で何度も練習して、出来上がった曲を恥ずかしがりながらも何度も聞いた。

消そうと思って耳を塞いでも、ミュートになってくれない音。

でも今日はその音楽に耳を委ねる。

仕事の帰り道、夜風に当たりながら家まで歩いていた。

ラジオでは抽選会でチケッ卜は当たらなかったといったが、あれは半分嘘だ。私たちは当たらなかった。だけど先輩声優さんのご厚意もあり、私はテㄧマパ-クのチケッ卜を手に入れ、欲しがっていた稀莉ちやんに渡すことができたのだ。

「嬉しそうだったな稀莉ちゃん…」

理由はわからないけど打ち上げでの彼女はテンションが低かったというか、なんかむすっとしていた。メインキャラの打ち上げだから聚張していたのかな? 当たらず落ち込んでいた彼女を、私は笑顏にしたかった。私の運ではないけど、手に人れることができてラッキーだった。

でも、そのペアチケッ卜は私と使いたい、私と一緒にテㄧマパークに行きたいと言うのだ。私はその場で承諾し、今度一緒にお出かけすることになった。

「どうして私?」と戸感いもあるが、彼女とお出かけすることが楽しみで待ち遠しい。

仕事でも推し事でも私事でも、スケジュールが埋まるということは嬉しくて良いことなのだ。

音楽がまだ流れて、止まらない。

自分でも気分が良いとわかる。お家で買つてきたコンビニ弁当を食ベ終え、クローゼッ卜の中にある、少し大きめの箱を久しぶりに開けた。

「…懐かしいな」

「空飛びの少女の台本がそこには人っていた。一話の台本を手に取り、少し乾燥して固くなった紙をめくる。目に飛び込んできたのは当時私が記した、生きた軌跡。

「この頃の私、必死だなー」

いたるところに黄色やピンク色のマ1カ1が引かれている。赤字や青字でフリガナ、イントネ-ションが記されているだけでなく、この時の空音の気持ちはこうで~と個人的な解説がぎっしりとメモされている。

努力は認めるが、こんなに書かれていては本番で読みづらかっただろう。台本の役割が半減だ。けど何度も読んだからか当時の私は台詞をほば覚えちやっていて、読みづらかった記憶はない。その熟意も、覚える根気も「若かったな……」と感じる。

違う話数の台本を手にする。

プしゼントするわけでもないのに最終話の台本の表紙には、私の直筆のサインが描かれていた。将来価値があがるとでも思っていたのだろうか。本当、若かったな…と苦笑いが零れた。

思い出ボックスはまだ二箱ある。

別のボックスを開けると、また別作品の台本が入っていた。だが単発の作品なので数は少ない。手に取りページを開けると、書き込み量が最初と違って減っているのがわかる。慣れてきたのか、最初ほどの情熱を失ってしまつたのか。そもそもモプ役なので、読むページは限られていたという理由もある。

それでも思うのは「……ラジオの台本よりはマシだ」という悲しい感想だ。

これっきりラジオの台本はほぼ真っ白でまた打ち合わせをしたとしても台本にわざわざ書くことがほとんどない。

情熱がないわけではなく、行き当たりばったりの雰囲気で番組が進んでいるのだ。……ここまでよくラジオを続けることができたものだ。

ボックスの中身をさらに漁ると、封筒がたくさん出てきた。

「あった」

その中から一枚の手紙を手にする。お目当てのものだ。

台本のほかに、フアンからもらった手紙、フアンレタㄧをボックスに保管している。

替は辛くなった時には読み返して「私はまだ大丈夫だ!」と励ましてもらった。だが最近は縋ってはいけないと感じ、ボックス自体開けていなかった。

「ふふっ」

ファンレターには『空音のこと好きです』と書かれている。

小学生ぐらいの子だろうか。名前も年齢も記されていないので、書かれている漢字の量や文章の表現で推測する。

丁寧に書かれた字は読みやすく、一生懸命書いてくれたんだろうな~と嬉しくなる。空音のここがすごい、空音のここが尊敬する、など私も気づいていなかった良さ、発見があり、よく読み込んでいる、アニメを細部まで見てくれているな~と感心する熱意だ。

この子は本当に空音のことが好きだったんだな。二ヤ二ヤしてしまうのも仕方がない

「……嬉しいな」

この子は、まだ空音のことが好きだろうか。好きでいてくれる、だろうか。

あれから何年も経った。手紙を送ってくれた子ももう大学生か高校生、もしかしたら社会人として働いているかもしれない。

別のことに夢中になっているかもしれないし、ア二メが好きだったとしても別の嫁に浮気している可能性も大いにある。

時間が経てば変わる。気持ちも、好きだった音楽も、趣味も、変わる。変わってしまう。

それでも、願うのだ。

イヤホンを耳にし、空音の曲をきちんと流す。

私の声だ。

嫌いになることもあったけど、私はこの声が好きだ。この声が、私を証明する。

「今でも、好きでいてくれると嬉しいな…」

そう呟き、ボックスに出した物をしまっていく。

片付けが終わったら疲れたのか、気づいたら床でクッションを抱いて眠りについていた。

ちょっとの時間の仮眠だったけど、空音と一緒に空を飛ぶ夢だったことは覚えていた。

今日のよしおかんは不気味だった。

「今日のよしおかんは不気味だった」

「声に出ているよ、声に!」

心の声が聞こえているわけないでしよ!

「聞こえてないよ?」

「え、なんなの? 怖い佈い」

本当に心が読まれているとしたら、ラジオをやつていけないのだけど!

……よし、次の反応はないので大丈夫だ。

「なに、ニヤニヤしているのよ」

「こないだ懷かしいものを見つけちやってね。思い出しニヤニヤ」

「あーやだやだ、おばさんになると昔を懐かしんじゃって」

「おばさんじゃないよ、まだ二十代!」

「よしおばさんが何か言つている」

「よしおかんだって!」

構成作家が腕時計を露骨に見て、告げる。

「はいはい、ほら収録始めるよ。吉岡君、佐久間君、準僃はいいかい?」

「はーい」

「大丈夫です!」

ジングルが流れ、今日もラジオの収録が始まる。

奏絵「ラジオネーム『天丼おうどん』さんからのおたよりです。『稀莉ちゃん、よしおかんさん、こんにちはー。最近暑いですね。あっ、初投稿ですご』

稀莉「初投稿って、ラジオ始まってまだ三ケ月だからほとんどそうでしょ!」

奏絵「まあまあ、いつでも初投稿は嬉しいよ。三ケ月の間でも常連リスナーができたりしたしね。…続き読むよ?

『私は入社して一年経ちましたが、転職活動を始めました。周りは良い人ばかりで仕事自体は楽しいですが、なんというか刺激が足りないのです。定時には帰ることができるし、無茶な要求は少ないのですが、逆に平坦な毎日でこのままで良いのかと思ってしまいます。もし二人が転職をするとしたらどんな仕事がしてみたいですか?』

稀莉「転職のアドバイスじやないの!?私たちに質問で終わるの!? せめて、お二人が僕だったらどうしますか?って質問じやないの!?」

奏絵「落差はあるねー。転職か…。ホワイトだけど、やりがいがないってことなのかな」

稀莉「いいじやない、そのままで! ホワイト万歲!」

奏絵「でも私たちもやりがいを選んで、刺激的な声優という仕事を選んだのだから、言う資格はないかもだけど……」

稀莉「それはそうだけど……。やりがいはやりがいでいいように使われるわよ」

奏絵「やりがい搾取! 稀莉ちやんってたまに人生二周目のような発言するよね」

稀莉「まだ一度目です。よしおかんは転職考えたことあるの?」

奏絵「このラジ才がなかつたらしてたかも」

稀莉「直近! 重い、重いって!」

奏絵「もちろん冗談だよ……半分ぐらい」

稀莉「闇を出すなー!! 明るい話!」

奏絵「えー前向きな話だよ」

稀莉「しないけど、転職しないけど、もしするとしたらよしおかんはどんな仕事をしたい?」

奏絵「うーん、なんだろう。声を出す仕事はしたいかな」

稀莉「アナウンサー……は無理ね」

奏絵「私の顏をちらつと見ていうなー!」

稀莉「顔じやない。だつて嚙む、でしょ?」

奏絵「うっ、それは……。ならゲㄧム実況とか? ほら、YouTuberとかVTuberになってさ!」

稀莉「儲かるの?」

奏絵「……どうなんだろうね。自分で映像は作れないし、ネタが思いつかないし、受肉するのにお金かかりそう」

稀莉「受肉?」

奏絵「VTuberが3Dモデルを手に入れることだよ。3Dモデルや絵といった『肉体』を手に入れ、演者の『魂』を吹き込むんだ」

稀莉「なんだか表現が生々しいわね。肉って、肉」

奏絵「確かに。どちらにしても、更新をマメにしないといけないから私には向いてないかな……」

稀莉「部屋の掃除もロクにしない、だらしない女だからね」

奏絵「それとこれは関係なくない!?」

稀莉「それより、否定するのが先でしょ!?」

奏絵「これつきりラジオで見栄を張るのを諦めました」

稀莉「諦めないで、頑張って!」

奏絵「稀莉ちやんに励まされる日が来るとは思っていなかったよ…」

稀莉「じやあ結婚式の司会はどう? 声使うでしょ?」

奏絵「うーん、悪くないけど、人生最大イベントに関わるお仕事だから、責任重大すぎて無理かな……。それに幸せな人を見すぎると、自分との境遇と比較して病みそう……」

稀莉「また闇がでとる」

奏絵「稀莉ちゃんはどう? 司会やりたい?」

稀莉『仕事ならしっかりとやるわ。コホン。健やかなる時も、病める時も、愛し、なぐさめ、命のある限り真心を尽くすことを誓いますか?」

奏絵「そつちは司会者じゃなくて神父じやないかい!」

稀莉「チカイ、マスカ?」

奏絵「なんでちょつと片言なの? そういう神父さんを結婚式で見たことあるけどさ!」

稀莉「本当の神父さんなのかしら。英語教師とかじゃないの?」

奏絵「こらこら」

奏絵「そういえば転職で思い出した。私、スカウトされたことあるんだ」

稀莉「え? よしおかんがスカウ卜ですって? モデル? 芸能人? そんなわけないわよね。わかった、美容師さんからのカットモデルのスカウトだ」

奏絵「違うよ」

稀莉「じやあ何にスカウトされたっていうの?」

奏絵「モフモバーガー」

稀莉「モ、モフモ、バㄧガー!? ヘ? ファーストフㄧド?」

奏絵「アルバイトしませんかって。お店に行つたらされた」

稀莉「お店でスカウトされるの? そんなことってあるわけ?」

奏絵「あるんだよ、それが。ほら、ネット情報でもチラホラ」

稀莉「ヘー、ファーストフードでそんな勧誘してくるのね」

奏絵「やつばりわかっちやうのかな~。私の声の良さと、人当たりの良さが」

稀莉「ん?」

奏絵「私の声の良さと、人当たりの良さと、抑えきれない美しさがわかっちやうんだよなー」

稀莉「さつきより增えているんだけど! はいはい。どんな風にスカウトされたの?」

奏絵「お客様~学生さんですか、アルバイト探していませんか? ぜひ一褚に働きませんか? 冬休みの間にお試しでもいいので~」

稀莉「学生扱いされているじゃない!? 昔の話?」

奏絵「半年ぐらい前」

稀莉「やっばり若く見えるんだよね。まだまだ学生でも通じるんだよ」

稀莉「あれ、よしおばさんが何か言っていますよ皆さん」

奏絵「おばさんは駄目だって! よしおかんしか馱目!」

稀莉「おかんを許すのはちょつと可笑しいけど……」

奏絵「稀莉ちやんがモフモバーガーの店員か~」

稀莉「ならないし、スカウトされてないし」

奏絵「えーつとボテトと、コーラとそれとスマイルくださいー」

稀莉「二コッ、ってラジオじやわからないから!」

奏絵「ふふ、私だけの独占だね。稀莉ちゃんスマイル独占」

稀莉「独禁法違反よ!」

奏絵「ツッコミ上手になつたよね」

稀莉「急に褒めるな、二ヤ二ヤするなー!」

奏絵「塩分足りませんかね?」

稀莉「塩抜きで大丈夫です」

奏絵「そうそう、モフモで塩抜きでポテト注文すると揚げたてが出てくることが多いよ」

稀莉「なにその裏コマンド!? 知らないんだけど!」

モプモバーガーの話を聞いていたらお腹が空いてきた。

「ファーストフードのジャンクな感じはたまに無性に食べたくなるよね~」

よしおかんもモプモバ|ガ|を食ベたくなったとのことで、収録後に二人で行くことになった。どんな味なのか気になって仕方がなかった。

「稀莉ちゃんは初めてのモフモバㄧガー?」

「モフモバーガーぐらい、さすがに食ベたことあるわよ!」

「じャあ注文はばつちりだね、稀莉ちゃん」

「……お店に行くのは初めてよ、バカ」

揶揄う彼女に言い返す。喫茶店の時のようにもう強がつたりはしない。

チエーン店のカフエも行ったことがなかったし、コンビニも行ったことがない。ファーストフードにも当然行ったことがなかった。

「ご注文をどうぞー」

「えつと、その…」

元気よくレジのお姉さんに話しかけられるも、困惑する。

ハンバーガーの種類だけでもたくさんあるのに、セットも色々とあって訳が分からない。どの組み合わせが最適解なのだろう“キャンペーンやつているのを頼めばいいの? 冒険ㄝずに一番シンプルなのがいいの?

演技では堂々とできるのに、ラジオではよしおかんを罵れるのに、普通のことが私には難しい。

「チーズパ-ガーのボテトのセッ卜に、飲み物はジンジャーエールでお願いします」

隣の彼女がすかさず口にした。

「私もそれで! あっ、飮み物はオレンジジュースで」

よしおかんに便乘し、無事に注文することができ、ホッとする。揶揄ったりもしてくるが、困ったら助けてくれる。

そういう人なんだ、よしおかんは。喫茶店のときだってそうだった。私のプライドを傷つけないように、大人な振る舞いをしてくれる。

敵わないな……とは言ってあげない。

出来上がった料理を受け取り、笑みをこばす。

なんてことないことだ。でも、私には特别で嬉しかった。

「おいひい」

なるほご、ごれがハンバーガーか。濃厚な味が舌を満足させてくれる。

「食ペ終わってから喋ってね」

「……上品じゃなかったわね。おいしいよ」

「よかった、喜んでくれて」

「たまにはジャンクな、脂つていものもいいわね」

「昔はよく食べたけどな。学生の時とかさ」

「青森にもモフモバーガーあるの?」

「あるやい! ……車か自転車で行かないといけなかつたけど」

「さすが田舎」

「この都会っ子め」

ラジオの相方とファIストフ|ド店で向き合っている。

彼女が学生の時にダべっていたチェーン店が今も変わらず存在する。嬉しいものだ。同じ年齢ではないので、一緒の学生生活を歩めるわけがなかった。けど、こうやって隣にいると、より過去の彼女にも近づけた気がする。

彼女と話していた同級生はもう目の前にいない。ここは青森じゃなくて、東京で、彼女の過去はここにはない。

「店員さんになつたら賄いで食ベられるのかな~」

「……転職しないでね」

「今の仕事が天職ですから。刺激的な毎日が、今が好きだよ」

でも、今は目の前に私がいる。私がいてあげる。言われなくたって、隣にいる。

どこにでもあるお店が、変哲もない時間が特別だ。

「最近まで落ちぶれたくせに」

「うるへー」

「そういえばレジでスカウ卜されなかったわね」

「稀莉ちやん、レジの前でびくびくだったからね。映像に撮っておきたかったよ」

「ちやんと注文できたわよ」

「私のに便乘してね」

「次はもうできるから!」

「できるかな~?」

「今度の収録後にも行くわよ、絶対だからね!」

「はいはい、いつでも付き合うよ」

「言ったわね。じやあ、このあと……」

「今食ベているからね!?モフモバーガーを梯子とか聞いたことないよ!?」

そんな普通な特別が続いていくのだ。よしおかんと一緒に、これからも。

「なに、二ヤ二ヤしているのよ?」

「稀莉ちやんが嬉しそうだからさ~」

「…じつくり見すぎなのよ。こわっ」

「怖くないよー!」

やりとりがおかしくて噴き出し、つられて彼女も笑う。

——笑った顔がやっばり一番好きだ。

あなたの隣で、あなたのおかげで、今日も私は二ヤ二ヤしてしまうのであった。