ep.30 全成の確率
时长: / 首播:2022-08-07
北条と比企の争い
源頼朝の死後、御家人たちの勢力図は目まぐるしく変化しました。その中で、対立を深めていったのが北条時政と比企能員です。
北条時政は政子の後押しも受けて、正治2年(1200)1月1日に御家人が鎌倉殿を饗応する儀式である「垸飯」を務めました。これは、御家人の序列を表すものです。また、『吾妻鏡』正治2年(1200)4月9日条において、4月1日に時政が遠江守に補任され、従五位下に叙されたと記されています。頼朝の代では源氏一門に限られていた国守に任官し、一般御家人の「侍」よりも格上となる「諸大夫」となったのです。
一方、頼家の乳母夫である比企能員は、建仁2年(1202)7月22日に頼家が従二位に昇叙して征夷大将軍に補任されると、その権威・権力を背景に勢力を伸ばしていきます。また、娘の若狭局(せつ)が産んだ一幡を嫡子にするように頼家を導きました。
北条と比企の争いは、このあとますます加速することになります。
北条と比企の争い
源頼朝の死後、御家人たちの勢力図は目まぐるしく変化しました。その中で、対立を深めていったのが北条時政と比企能員です。
北条時政は政子の後押しも受けて、正治2年(1200)1月1日に御家人が鎌倉殿を饗応する儀式である「垸飯」を務めました。これは、御家人の序列を表すものです。また、『吾妻鏡』正治2年(1200)4月9日条において、4月1日に時政が遠江守に補任され、従五位下に叙されたと記されています。頼朝の代では源氏一門に限られていた国守に任官し、一般御家人の「侍」よりも格上となる「諸大夫」となったのです。
一方、頼家の乳母夫である比企能員は、建仁2年(1202)7月22日に頼家が従二位に昇叙して征夷大将軍に補任されると、その権威・権力を背景に勢力を伸ばしていきます。また、娘の若狭局(せつ)が産んだ一幡を嫡子にするように頼家を導きました。
北条と比企の争いは、このあとますます加速することになります。