职业: 漫画家
東京市生まれ、旧満州ハルピン出身、頌栄高等女学校(現 頌栄女子学院)卒業。本名・上田俊子。
少女漫画の黎明期に活躍した女性漫画家の一人であり、代表作にハルピンを舞台にした『フイチンさん』などがある。少女誌執筆の頃は上田としこ、新聞の執筆の頃は上田とし子、その後に上田トシコ、と3度ペンネームを変えている。
1955年9月、『りぼん』創刊号よりヒット作『ぼんこちゃん』を連載(-1961年12月)。1955年1月、『少女クラブ』(講談社)にて『フイチンさん』[4]の連載を開始(-1962年3月)。ハルピンを舞台におてんばな中国娘フイチンさんが活躍する物語で上田の代表作となった。以降、『平凡』誌(平凡出版)で『お初ちゃん』を11年におよぶ長期連載(1958年2月-1969年4月)、1973年からは『明日の友』(婦人之友社)に『あこバアチャン』の連載を開始し、上田の死の前月まで連載が続いた。2008年3月7日、心臓麻痺により東京都の自宅にて死去[5]。90歳没。同年8月26日から11月24日にかけて、杉並アニメーションミュージアムにて追悼展示会が開催された。
上田の画風は師である松本かづちによく似た、スタイリッシュで躍動感のあるものであるが、この画風の影響を指摘されている漫画家に高野文子がいる。いしかわじゅんによれば、高野は夫に『フイチンさん』を教えられてこの作品が気に入り、『ラッキー嬢ちゃんの新しい仕事』(1987年)から大きく画風が変化、『フイチンさん』のそれとよく似た絵柄となった。
村上もとかは2013年3月より『ビッグコミックオリジナル』(小学館)にて、上田の生涯を題材にした伝記漫画『フイチン再見!』を連載している。
少女漫画の黎明期に活躍した女性漫画家の一人であり、代表作にハルピンを舞台にした『フイチンさん』などがある。少女誌執筆の頃は上田としこ、新聞の執筆の頃は上田とし子、その後に上田トシコ、と3度ペンネームを変えている。
1955年9月、『りぼん』創刊号よりヒット作『ぼんこちゃん』を連載(-1961年12月)。1955年1月、『少女クラブ』(講談社)にて『フイチンさん』[4]の連載を開始(-1962年3月)。ハルピンを舞台におてんばな中国娘フイチンさんが活躍する物語で上田の代表作となった。以降、『平凡』誌(平凡出版)で『お初ちゃん』を11年におよぶ長期連載(1958年2月-1969年4月)、1973年からは『明日の友』(婦人之友社)に『あこバアチャン』の連載を開始し、上田の死の前月まで連載が続いた。2008年3月7日、心臓麻痺により東京都の自宅にて死去[5]。90歳没。同年8月26日から11月24日にかけて、杉並アニメーションミュージアムにて追悼展示会が開催された。
上田の画風は師である松本かづちによく似た、スタイリッシュで躍動感のあるものであるが、この画風の影響を指摘されている漫画家に高野文子がいる。いしかわじゅんによれば、高野は夫に『フイチンさん』を教えられてこの作品が気に入り、『ラッキー嬢ちゃんの新しい仕事』(1987年)から大きく画風が変化、『フイチンさん』のそれとよく似た絵柄となった。
村上もとかは2013年3月より『ビッグコミックオリジナル』(小学館)にて、上田の生涯を題材にした伝記漫画『フイチン再見!』を連載している。
最近参与
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フイチンさん
作者 飞琴姑娘